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蓮華院金剛寺
座主 木原秀成
 
 
秋のお彼岸会
 
 
 彼岸の語源
 
彼岸とは「向こう岸」であり、「こちら側」を此岸といいます。 向こう側は仏様の住む極楽浄土で、ご先祖様の霊が安じているところです。こちら側は生老病死の四苦がある世界です。
インドにはサンスクリットにパラミータ(波羅密多)という語があり、完全・悟りという意味があります。
すべての煩悩が消えて曇りのない完全な世界・悟りの涅槃の境地に達した・・・・これが向こう岸に着くということです。

『彼岸』という語は、「此岸より彼岸に到る」と僧が教えを説いてまわったのが、農民にとっては、ちょうど春の種まきの時期(春分の頃)と、秋の刈り入れの時期(秋分の頃)であったため、説教僧が来ることを「もうじき『彼岸』が来るぞ」といっていたところからできたと言われています。
先祖から受け継いだ遺産に感謝して先祖の霊をなぐさめ、自分もまた極楽往生を願う気持ちの発露が込められているのです。
 
 彼岸の始まり
 
時は平安時代。
桓武天皇は都を平城京から長岡京に移す計画を立てました。しかしその一年後、工事を任せていた藤原種継が反対派によって暗殺。
その疑いは天皇の弟である早良親王に向けられ、親王は淡路島の「乙訓寺」に流され、無実を訴えながら絶食し命を絶ったのです。
その後、桓武天皇の生母・夫人・皇后が次々亡くなり、跡取りである安殿親王までもが病に伏し、地方では天然痘が流行し多くの死者をだしました。
これは早良親王の祟りという占いの卦も出たため、806年3月桓武天皇は、早良親王の怨霊鎮めとして執り行なったことが、「日本後紀」に記されており、これが「彼岸会」の始まりであるとされています。
その後、811年弘法大師が乙訓寺に別当として就任されていますが「宮廷がたたりを恐れ、弘法大師の祈祷の効験に期待した」という説もあるそうです。
 
 彼岸が7日のわけ
 
パラミータ(波羅密多)に到るためには6つの徳目(六波羅密)を修行しなければなりません。
彼岸の中日をはさんで1日に一つずつ修行して実践し、涅槃の境地に達するという意味で彼岸は7日間あるのです。

その徳目とは次の6つです。
 @布施 物を施し与え、法を説き、衆生の恐怖を救って心を救うこと
 A持戒 戒律を守り常に反省すること
 B忍辱 迫害に耐え忍ぶこと
 C精進 ひたすら実践すること
 D禅定 心統一して安定して真理を悟ること
 E智慧 道理を正しく判断して、いのちそのものを把握すること


六波羅密は『人に与えることに始まって、最も深い境地に達する修行』を言います。
『七』という数字は、数霊学では「成就・完成」を意味するのです。また、「死」を意味し「新生」も秘められているのです。
 
 日本固有の伝統
 
最近では、祝日として形式的になっている感もありますが、彼岸は、極楽浄土を願い見えない仏様に頼ってお願いするということでも、お墓参りだけをするというのでもありません。
仏教は中国から伝来されましたが、彼岸という行事はありません。
お彼岸は、お盆供養と同様、千年を越える日本固有の伝統行事の一つです。
お彼岸の7日間は、ご先祖様が喜ばれる生き方の修行をする期間とでも言いますか、心を静め、自分の心と姿を見つめ、お墓参りやお寺の法要に参座してご先祖様を想うということは、そのまま今ここに生きる自分の命を考え、感謝と報恩の心を取り戻すということになるのです。

人の心を失ったとしか思えない事件の多発している昨今、人間性・霊性の低下が重要な問題として浮上してきています。
また、人間関係が希薄になりつつあることも、程度は違っても同じ霊性の低下と捉えるならば、今一度、日本人として日本の心を取り戻すためにも、大切にしていただきたい行事の一つです。
 
 
 
   
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