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蓮華院金剛寺
座主 木原秀成
 
 
一喝説法
 
宗教の本質は霊性の向上である
―宗教の魅力を取り戻せ―
2006.01
 
 凶悪犯罪が小学生までに忍び寄っている
 
本当に恐ろしい世の中になったものである。これからの日本は一体全体どうなってしまうのだろうか。昨年の年末に小学生が連続して広島・栃木・京都と地域を越えて事件に巻き込まれ、又香川では全く知らない人に会社員が殺された。毎日殺人事件が、あたかも犬や猫を殺すがごとく頻発している。
又、姉歯1級建築事務所にかかわる不法建設事件は想像を絶する極めて許しがたい事件である。いかに建築費用を安くあげなければならないからといって、震度5の地震に耐えられない手抜き建物を平気で設計する人間も人間だが、それを知っていながら平気で建設した建設会社、それを許可した官・民の審査機関は一体どうなっているのだろうか。
 
週刊誌によると、一連の関係者はそれがし大宗教団体の信者と報じられているが、もし、それが真実であるならば、畜生以下の人間である。
 
政治・経済・社会・家庭とあらゆる分野において、想像を絶するような事件が連日のごとく報道されているが、幼児や小学生を巻き込んでの殺人事件は言葉を失ってしまうショッキングな悲劇である。 事件に巻き込まれている幼い我が子を失った親の気持ちは筆舌尽くしがたい悲しみと憤りを感じているに違いない。
それも、性的異常者による犯罪の増加であるところに危機感を持つのである。というのは、人間がだんだん動物以下に成性的犯罪者の増加に対しては、国家レベルでその対策を講じつつあるようだが、防御策を講じようと、どうしても予測不可能なことは防ぎきれない。性的犯罪に限らず幼児や小学生が事件に巻き込まれて起こっている悲劇はますます増加傾向にある。右も左も知らない幼い子供達が、なぜ犠牲者になるのか?また、犯罪者はなぜ大人でなく幼い子供を狙うのか。
 
動物は、食欲と性欲(種族保存)のみで生きているが、それでも親子の愛情は人間以上に感じる動物もいる。人間は動物以上の前頭葉を持ち知性も動物より遙かに上なのに、全くもって嘆かわしい人間達が増えているのは一体なぜなのか?
 
そして、なぜこのような社会になってしまったのか?人間が人間として最低限度の倫理・道徳心がなぜ希薄になってきているのか?大人達は今何に気がつかなければならないのか?
 
 魅力を失った宗教
 
私は、今日の日本のこのような忌まわしい現実の病理は、そう単純なものではないと思うが、最大の病理の一つは次のことであろうと思う。
  ※魅力を失った宗教
日本人は縄文時代より、少なくとも3つのことを大切にしてきた民族である。その3つとは
1 自然崇拝(マナイズム)
2 精霊崇拝(アニミズム)
3 祖先崇拝(アンセスティズム
そして、この3つの秩序の調和を図るところに、日本人の精神土壌の根源性があり、その象徴が天皇であり、それこそが日本神道(皇道)であった。
 
だからこそ、日本人は仏教や道教・儒教やその他いろいろな宗教を受け入れ、日本的にモデルチェンジし、同化させてきた素晴らしい民族であったはずなのに、いつどこでこの精神土壌は消失してしまったのだろうか。
 
日本の宗教は、神道・仏教が中心だが、キリスト教やイスラム教のように排他的な一神教ではなく、全体を包み込み融和させていく多神教・汎神教である。このような、個と全体の調和を重んじる高い精神性を内包しているのが日本の宗教であった。
正に人類としての財産であり、21世紀の世界をリードしうる宗教であり、その基盤の上に日本文明があるのである。
 
なのに、なぜ、今、宗教は魅力を失ったのか? それどころか、宗教と聞いただけで、ほとんどの日本人は『嫌悪感』『恐怖感』を抱いてしまうようになったのはなぜか? 宗教が日本人の心から今消えかかっているのはなぜか?
 
一昔前までは、生活の身近なところに神社・仏閣があり、嬉しいにつけ、悲しいにつけ、人々は自然に聖域に足を運んでいたのである。
しかも、意識するしないにかかわらず、ほとんどの日本人の生きる支えとしての宗教であったはずである。
 
つまり、宗教を宗教として意識しないほど宗教は人々に馴染まれていた。うしろを振り返えれば、そこに『宗教』があったのである。それほど身近なところに宗教が存在していたのが日本民族であった。
 
どんな貧乏な家庭にも神棚や仏壇はあり、朝に夕には手を合わせていたのである。正月・彼岸・盆・百日参り・七五三の祝い・・・・と数えあげればきりがない位、日常生活に密着していたし、神仏にかかわる言葉や品物はたくさんある。なのにである。なぜ、宗教は魅力を失ったのか?


 
 宗教の本質は『霊性』向上である
 
そのような傾向が顕著になったのは明治以降であろう。
 
明治以降、日本は文明開化・富国強兵策のもと、欧米文明を積極的に導入した。もちろん、そのことによって、今日の日本が世界の経済大国になったことは事実である。
 
しかし、欧米文明は、唯物論哲学・科学に支えられた文明である。しかも、目に見えるもの・科学的に証明されるもの以外は認めないのである。知性や理性が重んじられ、感性や経験や伝承は軽んじられ、すべての中心は『物質』であり、目に見えないものの存在は一切無視されたのである。特に知識階級の人達に顕著であった。


『惣』と書いて『すべて』と読むが、字のごとく、この世に存在するものは、物と心つまり目に見えるものと目に見えないもので作られているのである。それこそが宇宙の実相である。 
 
又、宇宙天地自然の摂理とは、自然の秩序・社会の秩序・生命の秩序の調和のとれた状態なのである。そして3つの調和を図りながら生活や生き方を向上させることが霊性の向上であり、真の宗教的生活である。
 
これこそが、日本文明の根源性であり、だからこそ宗教は人々の身近なところにあったのである。今こそ、宗教は宗教の本質に帰らなければならない。
 
宗教が宗教の本質に回帰した時、宗教は再び魅力を取り戻し、日本人の中に宗教が帰ってくるのである。その時、日本人が真の日本人に帰るのである。
 
 
   
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