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蓮華院金剛寺
座主 木原秀成
 
 
一喝説法
 
わたしは祝福される尊い存在である
2014.01
 
 わたしは「どこから生まれてきた」のか?
 
御先祖代々から引き継がれている生命の連続性の延長にある両親を仮腹にして自分の生命が誕生していることは、運命創造学を学んでいる法友は、周知の事実であります。

ところが、自分の生命に縁ある御先祖様は、一体どこから生まれてきたのでしょうか。どこまでも御先祖様を遡れば、一体どこに行きつくのでしょうか。

また人間そのものも、人間から生まれたのではなく、進化の過程で人間となりました。

最近の生命科学は、クローン人間すら生み出すまでに進歩していますが、それも、見本の生命があってのことです。もっと、根元的につきつめれば、万物に宿っている「生命」はどこから生まれてきたのでしょうか。

地球上に現れた「最初の米の一粒」は、人間が生み出したものではありません。何か「大いなる大霊の力」によって、生み出されたものであります。しかも、その存在をいまだ科学は解明できていません。

まさに「神秘魔訶不思議な力」なのであります。

そのような「大霊の力=サムシング・グレイト」を、昔から神仏(完全・円満・調和せしめる存在)として畏敬の念をもって祀り大切にしてきました。

地球外生命体は別として、この地球上のすべての生物(万物)に宿っている生命≠ヘ、自らが生み出したものでなく、「大いなる大霊=サムシング・グレイト=神仏の力」によって生み出されたものであります。

それが、人間に宿れば人間、植物に宿れば植物、動物に宿れば動物ということになるのです。ということは、人間も植物も動物も、それ以外の生物も、すべては神仏(大霊)の化身した姿形に他ならないということです。

また、神仏の化身である人間が作り出した機械・機具・電気製品・家庭用品等々、これらのすべての物も、間接的に神仏(大霊)の化身したものということが言えます。

このような、物の見方、考え方は、とても物心二元論的西洋人には理解し難いことでありますが、物と心を一つのものとしてみる物心一元論が東洋思想だからこそ理解できるのです。

そして、それを更に神仏=物心=生命(万物)一元論までに高めたのが日本思想です。

そして、それを更に高めて、万物は神仏(大霊)の化身であり、家族・兄弟の関係にあり、相補して生かしあっているというのがCMF(B&S)思想です。
 
 わたしは「祝福される尊い存在」である
 
赤ちゃんが生まれますと、みんなから祝福されます。もちろん、その意図するところは、新しい生命の誕生だからです。しかし、もっと本質的な意味は、赤ちゃん=神仏の子ということであり、祝福されて当然なのです。

日本人は、神社・仏閣に季節の旬のものをお供えしますが、それは、それらが神仏の化身したものだからです。

そして、そのお供えするもの(神仏の化身)をおろしてみんなでいただきます。つまり、神仏の「いのち」をいただくのです。これが、日本人が共に食事を楽しむ(共食の文化)ことが好きな民族といわれるゆえんであります。

話が、横道にそれましたが、わたしの「いのち」も祝福されるべき尊いいのちです。どのような環境に生まれてこようと、それはその人の内在している運命果のなせることであり、外的には千差万別あっても、内的には「神仏(大霊)」として同一的です。

キリスト教においては、人間を神の教えを守らなかった罪の子として定義していますが、日本人は人間を神仏の子として定義しています。

運命創造学の根底に流れているものは、「人間は神仏そのものであり、尊い存在である」ということです。無限なる「神秘魔訶不思議な力」を内在している神仏そのものであるからこそ、運命は変えられるのです。

「しあわせでなければ、ほんとうの人生ではない」という意味もここにあります。
 
 わたしは「わたしを神仏の境地」までに高めます
 
これこそ、運命創造学を学んでいる法友の生きる目的であると共に、目指すものであります。

誰一人として、この世に存在価値のない人などいないのです。皆尊い存在であり、大切にしなければならないのであります。

生涯という長いマラソン競争の旅路においては、いろいろなことがあるでしょう。辛いこと、悲しいこと、病気の苦しみ、思うようにならないこと、許せないこと・・・・お釈迦様の教えである四苦八苦の世の中かもしれません。

しかし、自分に起こっているすべての事は、神仏になるための修行なのです。

思うようにならないのは、過去(前世)において、神仏である自分が神仏の道からそれた生活をした結果であり、その間違いを気づかせるための現象なのであります。

だからこそ、起こること全てに対してとにかく、
「ありがとうございます」
と、受け入れることなのであります。

法友は、自分を神仏の境地にまで高められるための「法」をいただいているのです。

その「法」を「絶対心(信)」になって、実践することです。


 
   
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