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蓮華院金剛寺
座主 木原秀成
 
 
一喝説法
 
宗教の本質は霊性の向上である
2015.01
 
 凶悪犯罪が幼児や小学生までに忍び寄っている
 
本当に恐ろしい世の中になったものである。

日本も世界も混迷の極みともいえる様相である。

世界中の紛争はますます過激化し、第三次世界大戦の勃発も懸念されている。

急激な格差社会の進行で民衆の不満は増大し、デモや抗議活動も拡大している。

エボラ出血熱をはじめ、ウイルスによる命を脅かす病気が多発している。

日本でも毎日のように事件・事故の報道である。

最近では安易な快楽を求めて危険ドラッグにのめり込み、およそ人間とは思えない言動がニュースに映し出される。

又、企業の利益追求主体の経営はますますエスカレートし、遺伝子組み換えの問題、偽装や偽造、添加物・保存料の弊害など、直接いのちに関わる分野さえ、巨大企業に牛耳られてしまっている。

そこには「いのちの尊厳」という言葉は見当たらない。

政治・経済・社会・家庭とあらゆる分野において、想像を絶するような事件が日常茶飯事であるが、特に幼児や小学生を巻き込んでの殺人事件は言葉を失ってしまうショッキングな悲劇である。

それも、性的異常者による犯罪の増加であるところに危機感を持つのである。

というのは、人間がだんだん動物以下に成り下がっているように思えるからである。

性的犯罪者の増加に対しては、国家レベルでその対策を講じつつあるようだが、どんな防御策を講じようと、予測不可能なことは防ぎきれない。

幼い子供達が、なぜ犠牲者になるのか? また、犯罪者はなぜ大人でなく幼い子供を狙うのか?

動物は、食欲と性欲(種族保存)のみで生きているが、それでも親子の愛情は人間以上に感じる動物もいる。

人間は動物以上の前頭葉を持ち知性も動物より遙かに上なのに、全くもって嘆かわしい人間達が増えているのは一体なぜなのか?

そして、なぜ人間として最低限度の倫理・道徳心が希薄になってきているのか?

私達は今何に気がつかなければならないのか?

 
魅力を失った宗教
 
私は、今日の日本のこのような忌まわしい現実の病理は、そう単純なものではないと思うが、最大の病理の一つは次のことであろうと思う。

※魅力を失った宗教

日本人は縄文時代より、少なくとも三つのことを大切にしてきた民族である。その三つとは、

一 自然崇拝(マナイズム)
二 精霊崇拝(アニミズム)
三 祖先崇拝(アンセスティズム)

そして、この三つの秩序の調和を図るところに、日本人の精神土壌の根源性があり、その象徴が天皇であり、それこそが日本神道(皇道)であった。

だからこそ、日本人は仏教や道教・儒教やその他いろいろな宗教を受け入れ、日本的にモデルチェンジし、同化させてきた素晴らしい民族である。

日本は神道・仏教が中心だが、キリスト教やイスラム教のように排他的な一神教ではなく、全体を包み込み融和させていく多神教・汎神教である。

このような、個と全体の調和を重んじる高い精神性を内包しているのが日本の宗教であった。

正に人類としての財産であり、二十一世紀の世界をリードしうる宗教であり、その基盤の上に日本文明があるのである。

ところが今、宗教と聞いただけで、ほとんどの日本人は「嫌悪感」「恐怖感」を抱いてしまうようになっている。

宗教が日本人の心から消えかかっているのはなぜか?

一昔前までは、生活の身近なところに神社・仏閣があり、嬉しいにつけ、悲しいにつけ、人々は自然に聖域に足を運んでいたのである。

しかも、意識するしないにかかわらず、ほとんどの日本人の生きる支えとしての宗教であったはずである。

つまり、宗教を宗教として意識しないほど人々に馴染んでいた。

うしろを振り返れば、そこに「宗教」があったのである。

それほど身近なところに宗教が存在していたのが日本民族であった。

どんな貧乏な家庭にも神棚や仏壇はあり、朝に夕に手を合わせていたのである。

正月・彼岸・盆・百日参り・七五三の祝い…と数えあげればきりがない位、日常生活に密着していたし、神仏にかかわる言葉や品物はたくさんある。

なのになぜ、宗教は魅力を失ったのか?

 
宗教の本質は「霊性」向上である
 
そのような傾向が顕著になったのは明治以降であろう。

明治以降、日本は文明開化・富国強兵策のもと、欧米文明を積極的に導入した。

もちろん、そのことによって、今日の日本が世界の経済大国になったことは事実である。

しかし、欧米文明は、唯物論哲学・科学に支えられた文明で、しかも、目に見えるもの・科学的に証明されるもの以外は認めないのである。

知性や理性が重んじられ、感性や経験や伝承は軽んじられ、すべての中心は「物質」であり、目に見えないものの存在は一切無視されたのである。

特に知識階級の人達に顕著であった。

「惣」と書いて「すべて」と読むが、字のごとく、この世に存在するものは、物と心つまり目に見えるものと目に見えないもので形作られているのである。

それこそが宇宙の実相である。

又、宇宙天地自然の摂理とは、自然の秩序・社会の秩序・生命の秩序の調和のとれた状態なのである。

そして三つの調和を図りながら生活や生き方を向上させることが霊性の向上であり、真の宗教的生活である。

これこそが、日本文明の根源性であり、だからこそ宗教は人々の身近なところにあったのである。

今こそ、宗教は宗教の本質に帰らなければならない。

宗教がその本質に回帰した時、再び魅力を取り戻し、日本人の中に帰ってくるのである。

その時、日本人が真の日本人に還るのである。

 


 
   
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