弘法大師空海 伝来の秘宝
時は延暦23(804)年、平安時代。日本から4隻の遣唐使船が、当時、世界の文化都市であった長安へ向けて出発しました。その中には、当時まったくの無名の私度僧であった若き日の空海が乗っていました。当時の造船技術では、渡唐は長い長い苦難を経ての命がけの旅で。空海が入唐した際も4隻の船団の内、唐に辿り着いたのは2隻だけでした。
唐では、皇帝の篤い帰依を受け最盛期の頂点にあった密教。その頂点にいたのが伝法大阿闍梨恵果和尚だったのです。空海をひと目見た恵果は…「わたしはあなたの来るのを待っていた。私の命は尽きようとしているが、教えを伝えるにふさわしい弟子がいない。これから速やかにあなたに伝えよう」
空海は数千人の門弟を差し置いて、通常20年かかる密教のすべてを3ヶ月で学び終え、帰国した後真言密教を開きます。「虚しく往きて実ちて帰る」の言葉どおり、わずか2年の間に得たものは計り知れず。まさに、護摩の修法は、空海によって奇跡的に日本にもたらされたのです。
空海が恵果阿闍梨の教えに従って定めた密教の基本的な修行は4つあります。その一つが護摩法です。
また、護摩法には次のように4種あります。
1)息災法・・・病気を始め、一切の災難不幸・ 不運を免れる
2)増益法・・・一切すべてのものを福徳繁栄ならしめる
3)調伏法・・・一切を安全にならしめ悪事を消滅せしめる
4)敬愛法・・・一切のものを和合せしめ平和をもたらす